同じぐらいの月齢の子どもを育てていらっしゃる男性の、ブログやツイッターのつぶやきを拝見していると、誰しも一度は「自分にも母乳が出せたら…」と思ったことがあるようでした。
私も、生後1か月ごろは辛そうな妻の姿を見て、「母乳が出ればもっと妻を助けられるのにな」と思ったものでしたが、今はまったくそう思いません。当然、あるに越したことは無いのですが、無いものねだりをしても仕方がないのです。無いなら無いで、別の「できること」の種類を増やしたり、特化させたりすればいいのではないかと言う結論に至りました。
我が家の授乳状況
妻の母乳生産能力が非常に高いため、我が家は「完全母乳」で育てています。「完全母乳」にこだわらず、ミルクを作って奥さんを休ませてあげればいいのでは?と思われる方もいるかもしれませんが、生産能力が高いがゆえ、一定時間母乳を出さないでいると、胸が張って痛くなったり、しこりができてしまったり、最悪の場合は乳腺炎になってしまうのです。
元々「完全母乳」を目指していたのではなく、「完全母乳」にならざるを得ない状況なのです。
一時は羨ましく思ったが…
そんな状況であるがゆえ、授乳は完全に妻のお仕事です。私も「授乳できたらいいのに」とは思ったものの、抱っこしている最中に子どもに左腕を吸われ、内出血した際に「授乳中、いつもこんな痛みに耐えてるの!?」と驚愕し、以来一度も羨ましくなくなりました。
吸われたときのお話(画像あり)
では、何をすれば…?
授乳が育児の象徴になっているような錯覚に陥ることがありましたが、「授乳ができない=育児できない」わけではございませんから、自分にできることをひたすら考え、実践していきました。
家事や料理をしっかりとやることはもちろん、導線を考えて道具を配置したり、些細なことでも一番楽な段取りを考えたり、スケジュールを組んだり、妻が苦手なことを率先してやるようになりました。
また、子どもの様子を注意深く観察し、特に泣いている時には泣き方や表情に着目し、何を要求しているのか、分析できるようになってきました。
子どもが泣いている時の対応
子どもが泣いているとき、妻の場合は真っ先に「授乳しなきゃ!」と思うそうです。子どもの欲求を満たす最強のコマンド「じゅにゅう」は、ほぼ無敵の選択肢だと思います。
しかし、たいして飲まなかったり、飲んでも泣き止まなかったりすることもあり、その度に妻は「自分の母乳の質が悪いのかも…」「あげ方が下手なのかも…」と悩んでいたようでした。
子どもの生後3か月ぐらいの頃でしょうか、妻のプライドを傷つけぬよう「お腹がすいて泣いているわけではないのでは?」と僭越ながら申し上げ、「私に判断をさせてみて欲しい」と申し出るようになりました。
子どもの様子を注意深く観察し、分析し続けた結果、なんとなくですが何を欲しているか「分かる」ようになっていたのです。
私のコマンド
当初私ができたことは「だっこ」のみでしたが、様々なスキンシップを取ることにより、子どもの「ツボ」を抑えることができ、コマンドが拡充されていきました。
「おもちゃ」にしても、その日その時で欲しているものが違いますから、欲していないものを与えるとすぐに投げて機嫌を損ねてしまうので、しっかりと分析・判断し、欲しているおもちゃを与えることが肝要です。
「だっこ」もレベルアップし、欲しがっている揺れ・リズムを把握し、迅速に眠りに誘うことができるようになっています。
また、「ふっきん」は、子どもが私の腹の上でジャンプをしたり、踏みつけたりすることで笑い出すほどの歓びが得られ、私としては強固な腹筋が作られるという、まさにWin-Winのコマンドです(食後は避けたいですが…)。
「じゅにゅう」に固執していたら、きっと習得できなかった、もしくは習得が遅くなっていたコマンド群だと思われますから、序盤できっぱり諦められてよかったです。そのきっかけをくれた、子どもの行為(私の腕を吸って内出血させた)には感謝しかありません。
※戦闘コマンド画像はこちらで作成しました
まとめ
「ある」からこその選択と、「ない」からこその選択がある。「できる」のであればそれを特化させればいいし、「できない」のであれば、きっぱり諦めて他の選択肢を探す。これは育児に限った考え方ではなく、様々なことに応用できる考え方だと思います。
この考え方を育児においても実践できて良かったと思います。子どもの成長と共に、自分の成長を感じることができましたし、何よりモチベーションにもなりますから。
また、子どもを見るのと同じぐらい、一緒に育児をしている妻を見ることも大切だと思っています。妻も子供同様に大切なかけがえのない存在です。
しっかりと様子を見て、会話をしながら、いつもと様子が違かったり、疲れていたりするようなら、休ませてあげたり、遊びに行ってリフレッシュしてきてもらったりしています。
これからも「持たざる者」としての矜持を持ち、成長していきたいと思います。