身長が低いのがコンプレックスだったが、30を過ぎてどうでもよくなった話。

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私は中学3年生ぐらいから身長の伸びが止まり、161cm程度しかありません。それが学生の頃はコンプレックスで、何をするのにも自信が持てませんでした。

 

しかし、33になった今、身長のことを考えて何かしらの劣等感を感じる機会があるかといえばそんなこともなく、気付かぬ間にコンプレックスがどうでもいいことになっていることに気づきました。

 

妻と話をしている時、「(子どもは)背が高くなるかな?」という話題になって久しぶりに自分が身長で悩んでいたことに思い至ったほどです。

 

 

身長のこと

「身長がもっとあったらよかったのに。せめてあと5cmいや、10cm。」と誰しも一度は思ったことがあるのではないでしょうか?「背が高ければもっとモテるはず!背が高ければ容姿で揶揄されないはず!」そんな風にすべてを身長のせいにし、自分の至らなさから目を背けていた学生時代、私はなんて愚かだったことか。

 

身長と顔の作りは努力でどうしようもできない要素だと思うんです(お金をかけて手術をすれば少しは変わるかもしれないけれど)。そんな「どうしようもないこと」でコンプレックスを抱いたり、いじめがおきたりするなんて馬鹿馬鹿しいことだと思っている自分はどこかにはいたんです。

 

ですが、思ってはいつつも、どうしても人の目が気になり思い悩むのが思春期なのでしょう。出口のない問題について夏目漱石の小説の主人公のように思案しながら毎日苦悩しておりました。もっとやることがあるだろうに。

 

気にならなくなったわけ

思春期を過ぎ、様々な「物差し」で物事を推し量る能力が養われてきたからでしょうか。年を重ねるにつれ「時間」の大切さを知り、努力したって変えられないものにかかずらっている時間などなく、努力して伸びるものに対して時間を使う方が有意義だと、合理的な考え方になってきたのです。

 

そもそも身長ひとつで物事が決まることなどほとんどないわけですし、身長以外の要素の方が、この世界を生きる上では大きいわけです。

 

背が高くても姿勢が悪いと格好悪い

そうして昔の自分のコンプレックスの根底にあった「身長が高い=モテる」という方程式を疑ってかかったときに、ある一つの境地に辿り着いたのです。

 

それは、「姿勢が悪いと格好が悪い」ということ。これは身長の高低関係なく、すべての人に当てはまります。

 

このことに気づくと他の人の姿勢が気になって仕方がなくなります。そして姿勢や歩く姿が悪い人が多いことに気づくのです。

 

これは…、姿勢を正すだけで人と違いを作れて格好良くなれる…ないしマシに見えるんじゃないか?と私は一つの仮説を立てました。

 

自分の姿勢はどうか?

私の学生時代は何故か、姿勢正しくすると格好悪いみたいな雰囲気があったので、私も姿勢をわざと悪くしていて、今振り返るとどうしようもないくらい格好悪かったのです。

 

そのまま姿勢を正すことなく社会人になりましたが、働いて暫くすると姿勢が悪いことに起因する肩こりや腰の痛みが出てきてしまいました。ゆえに、少しでもいい姿勢を心掛け、体の負荷を減らすように心がけるようになっていたのです。

 

この調子で歩くフォームも研究して格好良くなろう!と様々な姿勢を良くすることにハマって行きました(笑)

 

姿勢は心にも関係する?

こうして自分の様々な姿勢を良くすることにハマっていった私ですが、暫くするとある変化に気づきました。「よくわからない自信」がついてきたのです。

 

私は人と相対するのが苦手で、コンビニで買い物をするのも面倒くさがるほどだったのですが、これが問題なくなりました。それまで「レジでどうしていたらいいのだろう?」という考えなくてもいいような不安に取りつかれていたのが不思議なぐらいです。

 

また、「自分はどうせ相手にされない」と閉ざしていた部分があったのも「別にそれでいいじゃないか」と思えるようになり、少しずつ解消していき、ある程度スムーズな交際もできるようになりました。

 

苦手なのは変わらないけれど

苦手なことが得意になったわけではなく、あくまで苦手は苦手なままなのですが、苦手でありつつも、自信を持った態度で臨むことで、物事をスムーズに終えられるようになった気がします。

 

例えば外食の会計や店員への質問なども苦手ですが、変に恐縮せず落ち着いた態度と姿勢で話すことで、その場をスムーズに終えることができます。

 

妻には「あなたはそういうところがスマートでかっこいい」と言われたことがありますが、「実は苦手なんだ」と正直に告白したところ驚かれました。そんな惚気はいりませんね。

 

おわりに

なんだか話がまとまらなくなった印象もありますが、変えられないところをいつまでも気にするよりも、変えられるところに着目して改善していくことが、世の中を「うまく」生きる上では重要なのだと思っているということです。

 

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本稿は半年前ぐらいに書き始めたのですが、まとまらないから下書き散文のまま残っておりました。しかし先日、こんな記事を見て書き上げるに至りました。

 

一生に一度の晴れ姿、静止画の見た目を整えることも大切ですが、姿勢や振る舞いを蔑ろにしないシークレットブーツが見つかる(見つかっている)といいなという願いを込めて。