時折妻が一人で悩んでいることがある。「どうしたのか?」と問えば、「明日の夕食が決まらない」との返事がある。「なんだそんなことか」と言わずとも、そのような態度を取れば、忽ち不機嫌になり、その機嫌は翌朝になるまで直らない。生き地獄とはまさにこのことである。
~トニー回顧録より抜粋~
私は特段「他のものを差し置いてでも食べたいもの」があるわけではないので、その時ある食材を使ってその時に食べたいものを作ればいいという考えでしたので、何故わざわざ前日に考えてさらには悩む必要があるのかと不思議でなりませんでした。
ですが、「献立で悩む」というのは一般的な悩みごととしては多いようで、そのような悩みをターゲットにした商品や商法が生まれているようですね。
自分で料理を作る日が続くこともある今でも、「なぜ長時間悩む必要があるのだ?」という思いが少なからずあるのですが、そう考えていたら、妻との溝は埋まる一方なので、我が家なりに「一人で悩まずに相談するルール」を設けて妻の悩みを解消するようにしています。
そもそもの問題
なぜ悩むのか?そして当日ではなく前日(場合によっては数日前から)に悩むのはなぜなのか?ヒアリングしてみると、大小さまざま複雑な思考が絡まっていたものの、整理してみると、一番大きな要因は「料理の選択肢が多いこと」でした。
選択肢が多い
別に文句を言っているわけではないのですが、妻は「安い!」と思ったものはとりあえず購入し、冷蔵庫をいっぱいにすることで何かの欲求を満たしている印象を受けます。
ゆえに、だいたい我が家の冷蔵庫はいっぱいになっています。それを使いきれず腐らせてしまうような事態でしたら問題ですが、しっかり使い切れるので私にとってはたいした問題ではございません。買い物に行く回数は減るから、時間とお金の節約になるのでいいことでもあります。
しかし、妻にとってはこの行動が料理の選択肢を増やしてしまうことに繋がり、決められないという悩みに繋がるようなのです。
対策:選択肢を減らせばいい
多すぎる選択肢はストレスになり、決める力を想像以上に消費するそうです。また、決めた後も他の選択肢のことが気になり、「これでよかったのだろうか…」と悩んでしまうこともあるようです。
昔、暇つぶしに読んだメンタリストDaiGoの著作で決断には力を使うと書かれていて、そんなことあるかよーという気持ちで読むつもりだったのに「なるほどな」と思わされたことがあります。確かに仕事でも多すぎる選択肢から選ぶのは比較検討に使うエネルギーが多く、消耗するよなと。
ならば選択肢を減らす手伝いをすればよいと私は考えました。在庫と鮮度を把握し「助言」するのです。
在庫の把握
現在、我が家の冷蔵庫はいつもどおり満員御礼です。この状況を私がしっかりと把握し、一番多く残っている食材、鮮度が悪くなっている食材等を調べ、頭の中で食材に対し「優先度のラベル付け」をするのです。
私はこの作業があまり苦にならず、それでいて瞬時にできるのですが(だからこそ冒頭の思考に繋がるのかもしれないなと今思えてきました…)、妻は苦手なようなのでこの点で助け舟を出してあげれば選択肢を狭めることができます。
例:本日の解
先日、特売で買った挽肉の賞味期限が近づいていたのと、先週末買ったキャベツを使えてないことからこの2つの食材を活用した料理にしたらよいのではないかと進言(食材を2つ指定して選択肢を減らす)。結果、ロールキャベツになりました。
ロールキャベツは食わず嫌いだったのですが、妻が作るものを食べて好きになりました。美味しいですよね。
まあ、キャベツとひき肉と言ったら選択肢ではなくピンポイントで言っているものと同じではないかとも思うのですが、ピンポイントで言うとそれはそれで「違う」みたいなのです。自分で決めることができたというのが自信につながるようで。
例:先日の解
先日は年末に向けて冷凍庫整理案を妻に提出。効率よくスペースを確保するためには在庫の多い冷凍鶏もも肉を減らすことが手っ取り早いと進言し、これを消費することに(食材を一つ指定し選択肢を減らす)。
ほうれん草もちょっと元気がなくなってきていたので投入。
その後軽く話した結果、寒くなってきたし、暖まるものを食べたいということになり、私がカレーを作ることになりました(妻が食べたいと仰ったので)。
おわりに
このようにして、長時間悩みそうなときは相談してもらうようにお願いしています。一人で思い悩むより、二人で考えたほうが効率がいいですからね。心も楽になるし。
自分で料理が作れない人でも、夕食のメニューを問われたら「なんでもいい」と突き放すようなことは言わず、苦手な部分を補って「目に見えない負担」を減らすことを心掛けてあげればよいのだと思います。
決められない原因には「自分が作ったものも食べる相手がいるから」というものもあるようなので、その食べる相手が一生懸命考えてくれたら、それだけでも助かるものですよ(妻曰く)。