受験シーズンにインフルエンザに罹ったときの話。大学受験の思い出とともに。

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先日はインフルエンザの予防接種を受けてきましたが、実費で予防接種を受けたときほどインフルエンザに罹っているので、そのジンクスを打ち破りたいという思いもあります。これまで自費で予防接種を受けたのは今回のを含めて3度ですが、過去は2回ともかかっています。

 

それは既にお話した子どもが生まれたとき(ジャストタイミングで罹ってしまい、立ち会えなかった)と、大学受験を控えた高校3年生の2月の時でした。いずれも罹ると厄介なので接種したのですが…。

 

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今回は、この高校3年生の2月にインフルエンザに罹ったときのお話を当時の私の状況を回想しながら書いていきたいと思います。

 

 

高校3年生の2月

私は「家から一番近いから」と言う理由で高校を選択しました。「なんでわざわざ朝早く起きて混雑する電車に乗って学校に通わなければいけないのか?」という問題が解けず、怠惰に身を委ねたかったからです。

 

その高校は学力偏差値的には高くなく、一応「進学校」とは謳っているものの、その内実は大学に進学したい人はどうでもいいお金さえ払えば入れる私立大学の推薦入試で進学を決めてしまうような状況で、高校3年生の2月時点では、国公立大学進学希望者以外は殆ど進路が決まっているような状況でした。そんな状況だからなのか、学校が自由登校になるのも2月の中頃と遅かったことを記憶しております。

 

私は「まだ働きたくない」という理由で進学を決め、お金もそんなに払いたくないし、家を出たくないという将来の見通しもない甘えた理由から、実家から通える国立大学進学進学を目指しておりました。ゆえに2月の時点では、3月の2次試験に向け、既に進路が決定した同級生達と遊びにゲームに忙しい日々を過ごしておりました。

 

滑り止め受験のお達し

私はエイプリルフール生まれのため、一浪したところで問題ない!と何故か思っており、滑り止めについては考えておらず、受験は志望の国立大学のみの受験を考えておりました。受験料も勿体ないし、遊べないから時間も勿体ないし、何より電車乗り慣れてなくて怖いし、知らない街に行くのも怖いし、実家から通えない大学を受けても仕方がないだろうと。

 

しかし、私の鉄の意思にも関わらず、家族と担任は心配していて、事あるごとに滑り止め受験を勧めてくるのでした。

 

そんな私の心を志望校以外の受験に向かわせたのは「志望校受験のリハーサルになる」という担任の言葉。それにしてはお高いリハーサル料ではないかと思いつつも、その話をすると親が少しほっとした顔をしていたので、「受けてもいいかな」と初めて思ったのでした。

 

受験校の選定

さて、滑り止めを受験すると言えど、滑り止めに受験する学校を選ばなくては始まりません。担任は受けるとなったときから色々と調べて提案してくるのですが、当時は「都会怖い怖い病」に罹患していたため、まったく受験する気になりません。

 

そこで私は、直近で受験する人に金魚の糞のようについていく作戦に出るのです。一人で受験会場に行くのも電車に乗るのも不安だから、誰かと一緒に行けばいい!と。どうせ行かないんだから、それでも問題ないだろうと。

 

今となってはなんとも恥ずかしい選定方法なのですが、当時の私は今以上に臆病だったのです。

 

滑り止め受験1週間前

ちょうどよく与しやすい同級生を見つけ、受験校と受験会場に行くまでの段取りを確認し、滑り止め受験への不安を払しょくした私は、受験対策などせず残りの高校生活を謳歌しようと全力で遊んでおりました。

 

そして、受験の1週間前の午後最後の授業前(確か地理)、今まで感じたことのない悪寒を感じることになるのです。今まで味わったことのないレベルの悪寒で、もしかして誰かが…!?虫の知らせとはこのようなものなのか?とも思ったほど。

 

授業は最後まで受け、その日の終業まで学校におりましたが、悪寒は収まりませんでした。帰宅可能時間になると、いつもは学校に残って同級生と話し込んでいたのですが、この日は一目散に家へと帰りました。誰かに何かがあったのかもしれないという不安もあり。

 

何かあったのは自分だった

そして家に帰ると気力が尽き、自室のベッドに横たわりました。布団をかぶっているのに寒く、そしてとても熱いという矛盾したよくわからない体感を覚え、夢現の間を行き来していると、いつのまにか仕事から帰宅していた母が部屋に現れました。

 

夕食ができたが、呼んでも来ないので心配になって様子を見に来たとのことで、私の状況と部屋の熱気を感じて驚いたそうです。

 

私は母に「誰かに何か大変な事が起こらなかったかい?」と問うと、母は即座に「あんたが大変そうだ」と返してきました。

 

解熱剤投与

そして母は2、3状況についての確認をしたのち、体温計を持ってきて私に体温を測るように促しました。体温計を脇に挟むと、まるで氷のナイフのような冷ややかな触感とともに鋭い痛みを感じられたことに驚きましたが、その感覚は一瞬間の後に意識と共に消えていきました。

 

体温計の無機質な検温完了音で我に返り、検温結果を見てみると「40.2℃」私が記憶する中で初の40℃越えでした。母は思ったより自体が深刻であることに驚いたらしく、常備薬である解熱剤を私に手渡し、飲むように促しました。

 

その後、熱は37℃台後半に落ち着きましたが、体の節々の痛みが辛く、その夜はよく眠れなかったことを覚えています。

 

翌朝は病院へ

翌朝も38℃近くの熱があったので、学校を休み病院へ行くことになりました。そうして「インフルエンザ」という診察結果を受けることになるのです。

 

また、前日に解熱剤を飲んだことを申告すると「解熱剤は免疫反応を抑えてしまうから、下手すると悪化したり、治りが遅くなったりするんだけど…。」と、なんだか皮肉めいた感じで言われました。

 

くすりの話 55 インフルエンザのときの解熱剤使用に注意 – 全日本民医連

 

下手すると母に引導を渡されるところだったようですが、あの状況だったら仕方ないよな、恨んではいないよ、恨んではいないさ!

 

ぶっつけ本番

インフルエンザに罹患したということで、治ってから数日経つまでは出席停止扱いになりました。治癒にかかると言われている日数よりも治りが遅く、延々とベッドに横たわっていた記憶があります。病床に臥せっている間に自由登校に入ってしまい、同級生と放課後に語り合う、やってない受験勉強中の息抜きの時間さえも奪われてしまったのでした。

 

治ったのは受験前日。一緒に行く算段を整えた同級生からは「うつされたくないから」という至極真っ当な理由で同伴を断られ、別々に受験会場に行くことになりました。彼にとっては第一志望だったようですからね…。

 

受験自体も散々で、解けるはずの問題が解けず、病が与えるブランクはこれほどまでに凄まじいのか!と、試験中にショックを受けました。多分そうではなくて、本当は勉強せずに遊びまくっていたからなんでしょうけどね。

 

おのれ、インフルエンザめ!

 

おわりに

この試験当日のショックにより危機感を抱き、受験結果が「補欠合格」となったことで、私の受験モードに火が付き、志望校の受験日まで必死に勉強した結果、無事合格することができました。

 

…あれ?

 

ここまで書いてきて思ったのですが、実はインフルエンザに罹って良かったのかもしれませんね。滑り止め受験は補欠合格だから入学金納めなくてよかったし、ちゃんと勉強する気になれて志望校に合格できたわけですし…。

 

そう考えると、子どもが生まれたときにインフルエンザに罹ったのも、実はいいことだったのかもしれません。あのとき隔離されて立ち会えなかったから、その時間を活用して色んな準備ができたわけですし。もう二度と辛い思いはごめんですし、「たられば」を言っても仕方ありませんけどね。