中学の同窓会に行って感じた違和感。学級委員長だからという謎の義務感で行きましたが…。

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今から4年前の冬、中学校のクラスの同窓会の案内があり、「学級委員長だったから行かなくてはいけないかな?」という謎の義務感を感じ、参加することになりました。30歳になる年だったので、そういう区切りもあったのでしょうか。

 

少し懐かしさを感じたものの、中学卒業以来会っていない人もいるし、その後高校が同じだった人でも10年以上会っていない人ばかりでしたから、「行く意味あるのかな?」とも思ったのですが、謎の義務感が勝ってしまい参加することにしたのです。

 

 

同窓会

同窓会の会場は中学校のある地元の居酒屋でした。参加人数は20名ほど。クラスのおよそ半分の人が参加していました。当時の担任の先生も参加してくださり、「なつかしさ」に溢れた同窓会でした。

 

乾杯の挨拶

学級委員長ということで乾杯の挨拶を任されるだろうと思っていたら、案の定任されたので、用意していた口上を述べ、無難に終えられました。一つの役目を終え「まあ、普通の飲み会だと思って楽しめばいいかなー」と思えてほっとしました。

 

自己紹介で

遅れてきた人が到着し、参加者が全員揃ったところで、現在何をしているのかの自己紹介がありました。参加者の殆どが地元周辺で生活しており、「そうなっていくんだなぁ」みたいな感慨もあって面白かったです。

 

そして、私の番になり「今、○○(東京の地名)でSEとして働いています。通勤中、警察官を多くみかけるので、身が引き締まる思いで通勤しています。」みたいな感じで自己紹介をしたところ、場の雰囲気が変わった気がしました。

 

地名がピンとこなかったのかな?と思い、「あ、東京の○○なんですけど…」と新たな話を繋いだものの、雰囲気は変わったままでした。

 

遠慮が始まる

以降、なんとなく私と話す方々の態度が少し変わった気がしました。若干の違和感を感じる程度であからさまではないのですが、居心地の悪さを感じるようになりました。

 

彼らにとって現実感がない存在と認識されたのか、「すごいなー」程度の話題しか振ってこられなくなったのです。ボケに対するツッコミが緩いといいますか、「さっきまでもっとぐいぐい来てたよね?」と言いたくなるぐらいの。

 

私は自慢話をしに来たつもりはないので、相手の話に合わせようとするのですが、彼らからそこはかとない遠慮を感じてしまうのです。私がお酒を追加で頼もうかと聞いたら物凄く恐縮されることもあり。

 

遠慮

私自身は何か変わったわけでもないのに、急に周りが遠慮しよそよそしくなる経験は仕事で社外の賞を取ったときにも経験がありました。それをうまく利用して「働きやすくなった」のはいいことでしたが、あの違和感は気持ちがいいものではないですね。

 

美談に違和感

途中、「あのクラス、最高だったよね!」みたいな話題になり、ちらと違和感を感じました。私は学級委員長でしたから、先生と他の生徒たちのパイプ役みたいな役目を仰せつかることもありました。それは少々辛い体験を伴う記憶として残っているので「最高とは程遠い大変さ」しか感じていなかったのです。

 

もちろん楽しかったこともあります。嬉しかったこともあります。でも、「最高だ」という話題に両手を上げて賛同できるほど消化しきれてはおりませんでした。だってあんたら「むかつく」とか「まじ最悪だよ」とか普通に文句言っては私の仕事を増やしたじゃないか…。

 

勿論、先生がいるからこその「おべっか」というか「持ち上げ」的な社交辞令でもあるのでしょうし、私が単にそういったものが下手なだけかもしれません。

 

中座~帰路~現在

私は一人暮らしの家に帰宅するため、宴の途中で退出しました。帰路でLINEのグループ(同窓会用)に幹事への感謝の気持ちと、皆に会えて楽しかった旨を綴ったのですが、メッセージは数人から帰ってきたのみで、以降は現在まで誰からも音沙汰がありません。

 

別に旧交を温めに行ったわけでもないので、私としては問題はないのですが、「変な義務感で行かなくてもよかったかな」という思いだけが残りました。

 

おわりに

中学校の同級生というのは、約15年前(29歳当時からすれば)、たまたま同じ地域に住んでいて、2年間一緒に学んだだけの関係とも言えます。そこに特別感は感じる人もいるでしょうが、私はあまり感じません。

 

暮らす場所も変わり、新しい環境で過ごす中で、それぞれ同じ場所から違う方向へ歩んでいるわけですから、それぞれ違う「位置」にいるのは当然なわけです。その違いが楽しいなとも思え、時に残酷にも思え、それが人生なんだろうなと謎の悟りを覚えた同窓会でした。