歩きスマホ防止キャンペーンは意味があるんだろうか。我関せずと堂々と歩きスマホをしている人を見て感じる無力感。

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「歩きスマホ」なり「ながらスマホ」をする人は、育休に入る前からそれなりの数いたと思うのですが、復職してからは以前より多くなった気がして、「なんだかなぁ…」と思ったことがあり、タイトルだけ付けてお蔵入りにしたままだったのが本記事です。

 

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そのまま永遠の眠りにつかせるはずが、私の代わりに言いたいことを言ってくれた方がいらっしゃって、感謝の意味を込めてと言っては大げさですが、記事を仕上げようと思う気持ちが湧きました。

 

歩きスマホに対して体当たりして逮捕のニュースを見て思うこと - THE ENTERTAINMENT DIARIES

 

それでも断片的に書いては止め、書いては止め…で少し前に仕上がったのですが。出すべきか出さぬべきか、最後まで迷っていました。結局、無意味なのだろうなという思いがずっとあって…。

 

 

歩きスマホ防止キャンペーン

鉄道各社でポスター作っていたり、アナウンスが流れていたりしていますが、見たり聞いたりするたびに、なんとなく無力感を感じてしまいます。

 

JR東日本の「やめましょう歩きスマホ」ポスター

 

なぜなら、「やめましょう」というアナウンスが流れていても、歩きスマホをしている人はやめないからです。もしかしたら「ああ、危ないからやめよう」と思ってその場でやめる人もいるのかもしれませんが、私は見たことがありません。BGMのように聞き流されているだけです。

 

そして、その「アナウンスが流れていてもやめる人がいない」ことに対して、なんとなく気分が悪くなってしまうのです。これなら流さないほうがいいのではないかと思うほどに。

 

やめろと言わないわけにはいかない

歩きスマホをしている人には効かず、歩きスマホをしていない人の気分を害するこのキャンペーン。「やる意味があるのだろうか…?」と思ってしまうのですが、事故が起こっている以上、やらないわけにはいかないんですよね。

 

それでも、キャンペーンをやるのにはお金がかかっているはずで、それが自分の勤める企業ではないのですが、なんとももったいなく感じてしまいます。キャンペーンの効果が上がっているようには思えないのですから。

 

怖い目に遭う

先日、家族で駅の下りエスカレーターに乗っているときに、歩きスマホ防止キャンペーンのアナウンスが流れていたのですが、やはり我関せずで目の前で歩きスマホをしている方がいらっしゃったんです。下りエスカレーターの降り口付近で。

 

それが、私に何の危害を加えるリスクがないんだったら何にも言わない(逆切れが怖くて言えない…)のですが、危うく巻き込まれるところだったので声をかけたんです。上りエスカレーターと間違えて、下りエスカレーターの降り口から上ってこようとしていたので。

 

そしたら舌打ちされて睨まれてしまいましたよ…。

 

 

気づかない状態だったら、最悪転んでしまうし、持ってるスマホも落として壊してしまう可能性もあったわけだし、それを防げたのだから私としては睨まれる筋合いもなかったと思うのですが…。

 

なにより、私は息子を抱っこひもで抱えていたので、万が一その人が転んだ際に巻き込まれる可能性を考えると怖くて仕方なかったです。

 

そしてこの時にちょうど、「ながらスマホは危険です」的なアナウンスが駅構内に流れており、ますます無力感を感じてしまったのです。「全然、意味ないな…」と。

 

おわりに

きっと歩きスマホはなくならないのであろうし、将来的には受容する方向でサポートするものが出てくるのでしょうが、今現在を考えれば、そんなサポートもないですし、個人個人の注意力も対応できるように追いついていないのだから、やらないに越したことはないと思うのです。

 

そもそも「やめてください」と注意されていてやめないのは、正直どうかしていると思います。なぜやっているにもかかわらず、「自分には関係ない」と無視できるのか不思議です。

 

そんな危険や周りに迷惑を与えてでもやりたいこと・やるべきことなのかなぁ…。