子どもの出産に立ち会えず、失意のトニーのもとに妻から子どもがNICUに入院したとの連絡が!子どもの状況も気になるし、妻の狼狽具合もケアせねばと思うものの、インフルエンザ隔離期間中のため会いに行くことができないトニー。
自分まで狼狽していてもしょうがないことに気づき、隔離期間開けの行動計画を練ることに。
前回のお話の続きです。
いきなりNICUに入院した!と連絡があったら、驚きますよね。そもそもNICUってなんだ!?響き的に重篤者が入院する感じがするし。。
耳慣れない言葉に、まずは不安になります。しかし不安になってもいられないので、調べました。その時はそれ以外なにもできませんでしたしね。
NICUとは
NICUというのはNeonatal Intensive Care Unitの略で、新生児集中治療室のことです。ICUの新生児バージョン。
生まれたての子どもは、何が起きてもおかしくないぐらいか弱いので、ちょっと気になるところがあった場合、「まあ、大丈夫だろう」と楽観的になるのではなく、「何かあってからでは遅いので、集中的に治療とお世話をしよう」という判断をするようなのです。
私たちの子どもは呼吸が弱かったため、産院の先生方の判断により、NICUに入院することになりました。呼吸以外にも問題があって、放置していたら悪化するだけですからね。
問題は呼吸のみの模様
NICUについて調べた結果、段々と安心してきました。もちろん、呼吸が弱いのは心配ですが、専門のスタッフの方に、ずっとつきっきりでお世話をしていただけるのであれば、最悪の事態は免れられるのではないかと思ったからです。
そう電話口で妻に告げても、妻の不安感はぬぐい切れなかったのですが、少なくとも私は冷静になり、隔離期間開けの行動を整理することができました。
まず隔離期間中は、大型洗濯物の洗濯や、家全体の掃除をしました。また、隔離期間が明けたら諸手続きに行く場所を整理し、持ち物と書類の作成に勤しみました。
隔離期間明け、まずは妻の面会へ
そうしてやってきた金曜日。インフルエンザ隔離期間明け初日。妻の面会可能時間は午後からなので、まずは妻の好物をお見舞い品として持参するため、百貨店で福砂屋のキューブカステラを購入しました。
妻の入院期間は5日間なので、5個 + 自分の分1個の合計6個です。
その後、帰宅し昼食を摂り、妻の産院へ向かいました。産婦人科に面会に来た旨を告げると、待合室に案内され少し待つことに。待合室では、同時期に出産され、入院している方の赤ちゃんの泣き声が聞こえます。妻はこういうの辛いだろうなあと思いつつ、どんな表情で会えばいいかと思案します。
妻と対面
そして、病院の入院着を着た妻と対面です。健気な笑顔を見せて、私が面会に来たことを喜ぶ妻を見て、涙腺が緩みますが、しっかりと労いの言葉と感謝の気持ちを伝えます。
ほんの2日会っていなかっただけなのですが、妻は産後で子供が出た分、お腹が引っ込んでいましたし、自宅ではなく、病院という場での再会ということもあり、長い間会っていなかったような不思議な気持ちになりました。
妻の産前産後のちょっとしたエピソード、義母とのやりとりなど、ずっと話したかったであろうお話をマシンガンのように受けていると、あっという間に1時間が経っていました。
NICUへ向かう道中
その日は妻の面会だけではなく、妻が搾乳した母乳を、NICUに入院している息子へ届ける必要もありましたし、役所の手続きもしておきたかったので、名残惜しいですが、そこで話を切り上げ、まずはNICUに行くことにしました。
妻の産院からNICUまでは電車と徒歩で約1時間ほど。初めて乗る路線に新鮮さを感じながら、NICUとはどんなところなのか、息子は無事だろうかという不安も抱きながら、長いような短いような移動時間を過ごします。
遂にNICUに到着
辿り着いた病院の案内窓口でNICUの場所を聞き、NICUのあるフロアへ歩いていく途中、私は不安と緊張とでいっぱいでした。
その日は搾乳した母乳を届けてすぐ役所へ行かなくてはいけなかったので(開庁時間の都合で)、息子には会いませんでした。会えなくてよかったとも思ってしまいました。
本当に怖くて、呼吸以外にもなにか問題があるんじゃないかと考えてしまうのです。大丈夫だと言い聞かせても、その次の瞬間から不安は襲ってきます。
ただ、NICUの窓口で、搾乳した母乳を届けに来た旨を告げ、母乳を受け取りに来た看護師の方と対面したとき、自然と不安が和らいだ気がします。
こういった方々に診ていただいているのなら、きっと大丈夫だろうと、本当に根拠はないのですが、安心したのです。
役所へ
その後、NICUから20分ほど電車で移動し、役所へ向かいます。役所での手続きは以下の3点でした。
- 出生届の提出
- 子どものマイナンバーが記載された住民票の写しの受領
- 児童手当の申請
出生届の提出は不思議な感覚でした。なんというか、私たちが名付けた名前が書類に記載されそして、役所の職員さんの口から発音され、自分がまだ息子に対面していなかったこともあるのでしょうが、今まで頭の中にあった「子ども」という存在が具現化したというか、実態を帯びてきた感覚でした。
予定すべて完了!
一通りの手続きが完了したのは閉庁時間5分前ぐらいでした。予定していたものが一通り終わった達成感と、病み上がりで体力が完全に回復していなかったからか、疲労感がどっと湧き出ました。
その日は家に帰っても、夕食を食べて寝ることしかありませんから、一度妻の産院に戻って報告をし、妻の食事を見ながらお話をしていました。
妻の食事に付き合う
病院の食事はなかなか炭水化物の割合が多く、驚きました。家で食べる3倍ぐらいに見えました。味はそれなりだったそうですが、白米が軟らかめに炊いてあり、我が家で炊いた白米の方が好みだったようです。
妻が食事を終えるのを見届けたところで、私も空腹を覚えたので、翌日の予定を確認し帰ることにしました。妻は翌日外出する許可を貰えたそうで、私と一緒にNICUに行くことになりました。
いよいよ、息子との対面です。
(2)につづく