先日、息子が生後100日を経過したので、「お食い初め」なるお祝いをいたしました。妻からそのようなお祝い事があると聞かされた時は、息子がまだミルクしか飲めず、出る料理を食べることができないのにやる意味あるのかな?と思いましたが、妻がやりたがっていて面白そうだと思ったこともあり、実施することにしました。
妻が楽しんでいたのはもとより、妻の手料理が食べられたし、私もなんやかんや言いつつ、楽しかったのでやってよかったと思います。
お食い初めとは
「一生涯、食べることに困らないように」ということを願って実施する、生後100日目に行われる儀式のことだそうです。なぜ生後100日ぐらいかというと、乳歯が生えはじめるのがその時期だからというのが理由だそうです。
お祝の仕方
一汁三菜の「祝い膳」を用意して、子どもに食べさせる真似(口の前まで運ぶ)をしてお祝いします。歯が生えたとしても消化器官は発達していないので、子どもは食べることができませんからね。
「祝い膳」を盛り付ける食器は男の子用、女の子用というものが用意されており、正式なやり方(なにがどうして正式なのかという愚問はあるものの)をする場合には気を付けないといけないようです。
お祝には祖父母や親族を招待することもあるようですが、これは参加したい人が参加すればいいのだと思っています。
場所は自宅で実施してもいいのですが、一通り用意するのが面倒な場合は、「お食い初め」コースなるものが用意されているお店で実施することができるようです。
祝い膳
祝い膳にはそれぞれの料理に意味があるものが並びます。具体的には
- 尾頭付きの鯛 ・・・ おめでたい
- 赤飯 ・・・ 「赤」色には魔除けの意味がある
- はまぐりのお吸い物 ・・・ 吸う力が強くなる、いい伴侶に出会える
- たこの酢の物 ・・・ 多幸
- 香の物(紅白なます) ・・・ 柄がおめでたい
- 梅干し ・・・ 長生き(しわしわになるまで生きる)
- 煮物(蓮根,里芋,筍) ・・・ 先を見通せる、子沢山、まっすぐに育つ
※地方によっても違いがあるらしいのですが、一般的と言われるものを並べました。
さらに、食べられるものではないですが、「歯固め石」という、歯が丈夫になることが祈祷された石を「お宮参り」の時にもらって用意するのが一般的のようです。
なんというか、駄洒落的なものが多くないかい?と思いつつ、そういうものだと割り切って捉えればいいんでしょうね。「さて、何の意味があるでしょうか?」というクイズをしながらやると面白いのかも?今回のアイキャッチ(O QUIZ OME)はここにかけています。
我が家のお食い初め
私と妻の親に確認したところ、「どうぞ親子3人で」とのことでしたので、自宅で実施しました。お互いそこまでこだわるつもりがなかったため、器も新たに調達せず、家にあるもので盛り付けました。祝い箸も買いませんでした。実施日に関しても100日ちょうどではなくていいかなと思っていたのですが、ちょうどよく良さげな鯛が手に入ったので、生後100日に実施できました。
料理
大変美味しゅうございました。
- 鯛の塩焼き ・・・ 鮮魚コーナーで天然真鯛を。内臓と鱗をとってもらいました。
- 筑前煮 ・・・ 大きめの蓮根を使って(先を見通せるんでしょう)
- お吸い物 ・・・ ぴたっと貝が合わさればいいらしいので「あさり」を使用。はまぐりよりおいしい
- 香の物 ・・・ 納豆に入れる用で作っていた浅漬けを使用。軽快な性格になるかな
- 赤飯 ・・・ いつも食べてる「もち麦金時豆ごはん」まめな性格になるでしょう
- 歯固め石 ・・・ 妻が持ってた梟の「それっぽい」もの。梟も見通しいいからね
※この色での説明は「駄洒落でいいんでしょう、駄洒落で」というこころの顕れ
我が家はまだお宮参りに行っていないため(妻と子の体調を優先)、歯固め石はありませんでしたが、妻が持ってた「それっぽいもの」で代用しました。「ふくろう」は「ふく」が含まれているので、石よりも幸せなのではないかと思ったこともあって。結局、理に適っていれば何でもいいんでしょう。
食べ方
食べ方も順番があるらしく、それに従って実施しました。
赤飯→お吸い物→赤飯→鯛→赤飯→お吸い物→赤飯→煮物→赤飯→お吸い物→赤飯→香の物→赤飯→お吸い物→赤飯→歯固め石→赤飯→お吸い物→赤飯
という順番です。実際この通り食べたら血糖値が上がりやすいし、実生活では薦めくない食べ方ですが、儀式ならまあいいでしょう。絶対子供にはそのように食べさせないけどね。
途中、お吸い物を服に垂らしてしまうトラブルもありましたが、忙しなくてなかなか面白かったです。
余談:実施前の葛藤
どうしても、どうしても、駄洒落のような息子が食べられないものを並べることがお祝いになると思えなかったんですよ。ものは言いようでいいようにも悪いようにも捉えることができるし、そもそもそんなハイコンテクストな表現が好きではないのであほらしいと。
食器だって一度買ってそれで終わりの高価なものを買うか?という話で、「次の子が生まれたら」とか「弟や妹に譲れるかも」とか仮定の話で収納しておいてデッドスペースを作る意味があるのか?子供の記念になる?たいして覚えてないものを写真で見返したとして何か面白味があるのか?意味があるのか?と、私は思ってしまうわけです。
「みんなやってるから」とか「やるものだから」みたいな、考えることを放棄することが悪しき風習を作るわけですよ。意味がないんだったら断固としてやるべきでない!
そんな私の面倒臭い性格を熟知している妻は、「義務ではなく、やってみたいと思っていて、楽しいならいいんじゃない?私はやりたいの。」という一発回答で私の鬱憤を沈めてくれました。
家族がやりたいことなら全力で応援する
それが私のポリシーであり、行動原則です。 それならやろう。やるからには楽しもう。
まとめ
うだうだ言って妻には「本当に申し訳ございませんでした」と心からの謝罪をするほどに、お食い初めは面白かったです。妻の本気の手料理を味わえるのはもとより、息子もなんだか楽しそうな顔をしていてよかったと思います。
誰かに無駄に気を使って超人並みのハイコンテクストを要求される誰得か分からないイベントではなく、「家族で楽しめるイベント」として用意されているなら、いくらでも大歓迎なんですけどね。
もとより、受け継がれているイベント事って、そういった「みんなで楽しもう!」というところから始まったものだと思うんですけどね。途中で過大解釈やら誰かの思惑が入ったおかげで混迷を極めているものも多いと思うんですよ。