PS2にときめきメモリアルを喰われたときの話。私の青春の影。

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プレイステーションクラシック」が出ると聞いて、真っ先に思い出したのは「ときめきメモリアル(通称:ときメモ)」にまつわる恥ずかしい思い出でした。

 

なぜあの時「ときメモ」に手を出したのか?当時の「ときめいた」心情は思い出すことはできませんが、焦りと罪悪感だけは思い出すことができます。

 

おぼろげな記憶ベースになりますが、今回は私の「青春の影」ともいうべきエピソードを、思い出しながら書いていきたいと思います。

 

 

プレイステーション

 

 

私の父は新しい物好きなので、プレイステーション(PS1)もプレイステーション2(PS2)も発売からほどなくして我が家にやって来ました。PS2が来てからは、PS1のゲームはPS2でもプレイできるので、どちらのゲームもPS2でプレイしておりました。ゆえに、ゲームの思い出に関しては、このPS2の筐体が思い浮かびます。

 

PS2が我が家にやってきたのは確か私が高校生の頃でした。その頃はお小遣いもそこそこもらえていたので、中古ゲームショップでPS1、PS2問わず度々ゲームを購入していた記憶があります。

 

あの頃はいろんな会社から様々なゲームが出ていましたから、誰も知らない面白いソフトを手に入れようと躍起になっておりました。

 

ときめきメモリアル

 

私がその存在を知ったのは思春期真っただ中の中学生の頃。女の子がいっぱい出てくるちょっと大人な内容のいわゆる「ギャルゲー」だということで、それを持っていたり、それについて熱く語ると漏れなく「変態」の称号が与えられる代物でした。

 

今振り返ってみると、なんとも不思議なものなのですが、学校という狭い世界の狭い価値観の中でしか生きていなかった私は、興味を持ちつつも表明することができない苦しさを感じておりました。

 

ゆえに、誰にも知られずに(もちろん家族にも)虎視眈々と手に入れる機会を伺っていたのでした。

 

格安価格で入手

あれは確か高校2年生の夏休みのことです。足繁く通っていた中古ゲームショップで「ときメモ」が480円という格安価格で販売されていたのでした。

 

「これはまさに私への天啓だ!」と確信し、周囲に誰もいないことを念入りに確認した後レジに向かい、念願叶って誰にも知られずに「ときメモ」を手に入れることができたのでした。

 

ときメモ」は、親が仕事で不在の時かつ、弟が部活で不在の時に一人でテレビ部屋に籠ってプレイしておりました。

 

「なるほど、このような趣深いゲームであるなれ。私の目利きは正しかったのである。」と悦に浸りながら、もう一つの高校生活をエンジョイすること数日。その事件は起きたのです。

 

開かないディスクトレイ

初期型のPS2は開閉ボタンを押してディスクトレイを開閉させるタイプのゲーム機でした。この開閉タイプのディスクトレイでよくある故障が「開閉ボタンを押してもディスクトレイが開閉しなくなる」というもの。

 

私はCDコンポなどでその故障場面に遭遇してきたので、いつかはこいつ(PS2)もそうなるんだろうな…と漠然と思っていたのですが、「そうなる」タイミングがまさか「このとき」だとは夢にも思わなかったのです。

 

そう「このとき」とは、「ときメモ」をプレイし終え、そそくさと誰にも見つからない場所に隠そうとディスクを排出しようとしたときのことでした。ウィーンという音とともに、いつも開くはずのディスクトレイが沈黙を貫いているのです。そのお姿からは

 

「お前のときメモは頂いた」

 

という声が聞こえたような気がしました。

 

焦る間に弟が帰宅

ひたすら開かないディスクトレイと格闘している間に、部活を終えた弟が帰宅しました。私はひとまずPS2の電源を落とし、平然を装い弟と昼食を食べ「時間が解決してくれる」作戦に出ることになりました。

 

当然ながら、機械の故障は「時間が解決してくれる」ことはほぼありません。しかし、当時の私は「ときメモ」のようなファンタジーに浸る身でありましたから、時間が経てば何事も無かったように元通りになる奇跡を信じてみたくなっていたのです。

 

告白

昼食を終え、再度PS2を起動してみると、私の期待に反し、ディスクトレイは沈黙を貫いたままでした。そうして「これは覚悟を決めねばあるまい」と私は兄のプライドを捨て、弟に現状を報告する腹を決めたのです。

 

PS2のトレイが動かなくなったと、実演しながら弟に見せると当時お気に入りだった「真・三国無双」ができなくなったことに対する憤りを露わにしました。その怒りが消えぬうちに、ゲームが起動し「ときメモ」のタイトル画面が現れると呆然とし、困惑を隠せない様子で私を見遣ったので、私は弟を真摯な眼差しで一瞥し、こう告げたのです。

 

ときめきメモリアルだ」

 

父へ報告

その日の夕方、弟は父にPS2のトレイ開閉口が壊れた旨を告げ、修理に出すことになりました。修理申込書は父が弟に状況をヒアリングしながら書き、「プレイしていたゲーム」欄記入の際、弟と父の口から「ときめきメモリアル」という言葉が発せられたやり取りには、笑いを隠せなくなりトイレに逃げ込んだ次第です。

 

なぜ弟が父にPS2故障の旨を報告し、当事者である私が傍観者の立場を決め込んでいたのか。そこには中学生には敵わない、高校生の財力にモノを言わせた卑劣な策略があったのです。

 

卑怯者の策略

弟に「ときめきメモリアルだ」と言い放った後、私は弟に「そういえば、君は○○を欲しがっていたな。あれを買ってあげてもいいぞ」と猫撫で声で告げると、弟は少々訝しみながらも嬉々とした表情を見せました。

 

「ただし、この件は君が引き起こしたこととして父に報告して欲しい。」

 

そう、私は純真無垢な弟を金の力で屈服させたのです。今となっては大変恥ずべき行為であったと慚愧の念に苛まれておりますが、当時の私は父に対し恐怖心を持っていましたから、プライドを捨ててでもこうせざるを得なかったのです。

 

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平穏

その後、1週間ほどで修理済みPS2が我が家に帰還し、何事もなかったように日常と言う名の平穏が訪れました。しかし私は「また壊れるのではないか?」という恐怖心が常に付きまとい、それ以降ときメモを起動することはありませんでした。

 

私の「もう一つの青春」は終わることなく実家の埃を被ったメモリーカードの中に眠り続けています。

 

おわりに

私があの時、弟に頼らなかったとしても、現在に至るまで大きな変化は起きなかったでしょう。今振り返れば、本当に些細で些末なことだからです。

 

しかし、「プレイステーションクラシック」発売のニュースが、私にこの恥ずべき昔話を想起させたことはなにか意味があることなのかもしれません。ですから今度、弟に会った時にこの時の話をしてみたいと思います。彼はきっと覚えていないかもしれない。けれども、私が思い出した以上、伝えねばならないと思うのです。

 

「やり残したときメモをクリアしよう!」

 

と。私のもう一つの青春を共に。