父の誕生日。「父」になった当時の父の気持ちに想いを馳せる。

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先日は父の61歳の誕生日でした。好みにうるさい父ですから、毎年なにをプレゼントしたらいいのか、さっぱり分からないので、食べ物を贈ることにしています。今年は「肉ギフトカタログ」を贈りました。

  

私は33歳ですから、父は28歳の時に私の父になったということになります。父との思い出は、「怒られたこと」や「怒鳴られたこと」ばかり思い浮かびますが、私も父になった今、それは仕方のないことだったのかなぁ?なんて思ってしまいました。私より若い時に「父」になっているわけですから。

 

 

父について

小学生のときは畏怖の対象でしかありませんでした。何を言っても怒られる、何をやっても怒られる。中学・高校時代も怖くてそこまで話せなくて、大学生になって漸く普通に話せるようになったと記憶しています。

 

仕事

父の仕事は土日休みだったので、週末が来るのが嫌で仕方がありませんでした。残業で帰りが遅くなったときなどは嬉しくて仕方がなかったほどです。「もう、帰って来なくてよい」ぐらいに思っていました。

 

お酒とたばこ

父はアルコールには弱く、お酒は1滴も飲みませんでした。その代わり、タバコは家でも外でもバンバン吸っていました。怒られたときにタバコの火で脅されたことがあり、タバコを吸っている時は殊更静かに過ごすようにしておりました。

 

50代半ばで禁煙治療に成功し、以来1本も吸っていないようですが、それまでは本当にタバコ臭かったです。タバコの臭いの有無で父がリビングに不在か否かを判断し、不在時にだけリビングに行くようにしていることもありました。

 

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エピソードから心情を想像する

深く記憶に刻まれた、父とのエピソードから当時の心情を察してみると、当時子どもだった私から見れば、「完璧な大人」だった父の未熟さや葛藤が感じられました。

 

当時は本当に嫌で嫌で怖くて怖くて仕様がなかったのですが、今となって考えてみると父も父で試行錯誤だったのだろうから、仕方なかったのかなぁなんて、偉そうなことを思ってしまうのです。

 

エピソード1:猿でも覚える

なにか怒られる度に言われていた嫌な言葉があります。「猿でも3回言えば覚えるのに、おまえは3回言っても分からない、猿以下だ」と。

 

父も子どもの頃にそう言われて育ってきたのでしょうから、躾の一環だったのでしょう。昔はこういった発言や、暴力で躾をすることが当然だと思われていたような節がありますから、父も「自分もそうやって育てられてきたのだから当然のこと」と疑わず、そのように言っていたのだと思います。

 

特に私は早生まれだということもあって、小さい頃は周りに比べて「できない」ことが圧倒的に多く、そこにじれったさを感じてしまっていたのだと思います。

 

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エピソード2:海水浴

小学生の頃は夏休みに泊りがけで海水浴に連れていかれました。行くまでは嫌で嫌で仕方がないのです。帰る日になって漸く「楽しかったな」と思えるほどにはなるのですが、家で遊んでいた方が良かったなと思ったこともしばしば。

 

海上で筏型浮き輪に乗り気持ちよさそうにたゆたう父と、意図的にはぐれたことがあって、遠目で見て焦っている父の姿と、私を見つけて怒ったようなほっとしたような表情が今でも脳裏に焼き付いています。普段そんな姿を見たことがなかったので。

 

大人になってから母に聞いた話だと、「自分が子どもの頃にはどこにも連れて行ってもらえなかったから、子どもたちはいろんなところに連れて行ってあげたかった。」と思っていたとのこと。

 

父なりに「楽しませよう」と思ってバーベキューや海水浴、スキー等に連れて行ってくれてたんですよね。長時間の運転や、家族を連れての陣頭指揮など、慣れないこともあって大変だったでしょう。その疲れやストレスから、行く先々で私たち子どもの行動にじれったさを感じて怒ってしまったんだろうなと(笑)

 

エピソード3:妹誕生

妹が誕生した朝、「おはよう。君たちに妹ができたんだよ。」というこの世の物とは思えない父の声に戦慄して起きたことを覚えています。弟と後々まで語り合えるぐらいの衝撃たるや…。

 

やっぱり、女の子が生まれて相当嬉しかったんだろうなと思うんです。

 

でも、優しいのはこの朝ぐらいで、母が退院するまでの日々は本当に地獄でした。私にとっては「いつもいるはずの、優しい母がいない」というプレッシャーが大きかったのでしょう。

父の料理をどう手伝ったらいいか分からないし、父とも話せることはないし。黙っていたら「普通、家に帰ったらその日のことを話すんじゃないのか?」なんて怒られたことも。

 

父としても、嬉しさと共に様々な不安も湧きおこってきて大変だったのではないかなと思います。 「父としてどう在ればいいのか?」なんて悩むこともあったのではないかと。

 

まとめ

20代後半なんて、自分の場合を考えてみれば、自分のことしか考えていなかったわけですし、その年齢の頃の父は、「戸惑い」や「未熟さ」が出るのは当然で、それが理不尽ともいえる言動・行動にも繋がったのではないかなと思いました。

 

結婚してから、私も父と似たようなことをしてしまいましたし、なんとなくですが、当時の「未熟」な父の心情も分かるような気がするのです。

 

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これ以上、歴史を繰り返さないために、子どもに対しては自分がされて嫌だったことは言わないよう・やらないように意識していきたいと思っています。

 

今となっては畏怖の念も抱きませんし、過去にされた不条理な事に対する怒りも湧きません。 健康に長生きしてくれたらいいなと思っています。いつか父を超えられる「父」になれたらいいな。

 

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