2歳の息子と料理をつくるということ。

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「パパのごはんみる」と妻に抱っこをせがんだり、踏み台を持ってきて黙々と私の手際を観察したりし始めたのはいつの頃からだっただろうか?遠い昔の話ではないのだが、思い出すことはできない。

 

今では彼はキッチンに立ち、私の料理を手伝ってくれるようになった。

 

 

息子と料理

刃物は触らないこと、火と火にかけた鍋も直接触らないことを約束している。彼は「ほうちょうはさわらない。ひはあついからさわらない。」と毎度キッチンに立つ度、自分に言い聞かせるように約束をしっかり守ってくれている。

 

彼はキノコ類を割いたり、私が切った野菜を盛り付けたり、卵をかき混ぜたり、塩と胡椒を振りかけたりしてくれる。彼が関わることで当然調理のスピードは落ちるが問題はない。彼に野菜の話をしたり、数を教えたり、つまみ食いの美味しさを教えたりすることができるからだ。

 

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(左)キノコを割いたり (右)材料をかき混ぜたり

 

私は単に料理だけをしているわけではなく、彼と楽しい時間を過ごしているのである。

 

食事事情

コロナの影響で在宅勤務が増え、私は家にいる時間が増えた。当然、昼食も家で取るようになる。当初は短期間だと思っていたため、コロナ前と同様に自分で作った玄米おにぎりを食していたのだが、在宅勤務がメインになることが分かってからは妻の言葉に甘え、昼食を妻に作ってもらうようになった。

 

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もともと私はおにぎりを食べていたわけだから、凝ったものではなく、普段通りでいいと妻にお願いしていたのだが、それはそれで妻の負担になっていたようだった。息子と二人で食べる分には適当でいいのだが、私にも同じ食事をとなると「なんとなく」の申し訳なさを感じてしまうとのことだった。

 

申し訳なさを感じる必要などないと伝えたのだが、「元々食事のメニューを考えること自体が辛いのに、料理のことを考える時間が増えたのでさらに辛くなってきた。」という話を聞き、在宅勤務の日は私が夕食作りを担当することを提案した。

 

稀有なる才能

元々、休みの日は食事を作っていたこともあり、夕食を作ることは問題がなかった。1時間超えの通勤時間が無くなった分を調理時間に充てられるため、それ以外の生活に影響がなかったのである。

 

ほぼ毎日料理をするようになって気づいたことなのだが、私は何を作るか悩むことが少ないようだ。要望がなければ作る直前まで何を作るか考えないし、何を作るかは冷蔵庫の中を見てパッと思いつく。食材の買い物で困ることもない。

 

食事を終えると次の食事を何にするか悩んだり、翌日の食事を決めないと眠れなかったりする人のほうが多いと聞く。実は稀有なる才能なのかもしれない。

 

興味を持つ息子

そんな生活が続いたある日、冒頭の「パパのごはんみる」が始まったのである。もちろん、妻が料理をしている時も見たがった。

 

彼は単に見ているだけではなく、工程を学習しているようでもあった。彼のおままごとスキルがぐんぐん向上していったことで窺い知れたのだ。

 

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(左)クレープをフライパンで炒めている (右)お弁当を作っている

 

そうして料理の観察を続ける日々がしばらく続いた後、ついに決心がついたのか、「ぼくがやる」と踏み台を運んできてキッチンに立っていた私の傍らに立つと、ちょうど手の届くところにあった塩の入れ物を掴んだ。

 

パーソナリティ

以来、彼と共にキッチンに立つ日が続いている。調子に乗って勢いよく塩をぶちまけたり、加熱しないとたべられないものを口に運んだり、道具で遊び始めたり…ということはまったくしない。

 

どうやら彼には、あらゆることを「大人と同じようにやりたい」という想いがあるらしい。料理以外でも洗濯、掃除、片付けから、電池交換や加湿器の水の交換といったこまごまとしたものまで、私達大人についてきて同じようにやりたがる。私たちに手を出させずに、一人でやりたがることもある(手を出すと癇癪を起す)。

 

それなら、トイレは「こわーい、やだー、できなーい」と言っていないで大人と同じようにやってくれ…と思っているのだけど、あれはまた違うものらしい…

 

そこで得られた新しい発見に関しては「これはなに?」と知りたがる。そこで得た知見をぬいぐるみたちとの遊びの中で披露している。

 

思い出話

自分の子どもの頃を思い返すと、あらゆる危ないと思えるものは避けさせられていた。それを突破してなにかをしようとすると真っ先に父の鉄拳が飛んでくるため、私はそれに従わざるを得なかった。

 

ゆえに、怒られたくないために様々なことに非意欲的になっていったように思うし、怖がりになっていった。もともとの性格的なものもあったとは思うが。

 

もちろん親としては、私を危険な目に遭わせないための行動だったと思うのだが、「ダメ」と言われた記憶ばかりが残っている。手伝わせてくれたものに関しては、失敗したことで執拗に怒られた記憶が根強い。

 

親として

私は息子に同じ思いをしてほしくないのだ。私が親にされて嫌だったことはするまいと心に誓っている。親にされたことを自らも繰り返すという人間の性に抗いたいと思っている。

 

卵をかき混ぜすぎて器からこぼれたり、具材を鍋に入れる際に手元が狂って落としてしまったり、水を出しすぎてスプラッシュさせたりと度々失敗をするが、わざとやっているわけではない。彼は真剣にやっている。だから真剣に向き合い、次に目を向けて必要な声をかける。

 

もちろん時には苛立ってしてしまうことはあるけれど、そこはぐっとこらえて短い注意のみに留め、息子と一緒に歌いながら発散する。彼の優しい声にとても救われる。

 

おわりに

今日も息子は筑前煮を妻と作っていた。人参とレンコンとごぼうは彼の好きな野菜なので、食べることをとても楽しみにしている。

 

料理を一緒に作るようになってから、ますます食事が好きになったようだ。食事中「これは僕が入れたきのこ!」みたいに教えてくれるのはとてもかわいい。嫌いな食べ物はなく、新しく食べたものも好きになっていく。

 

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↑のあと、ブロッコリーも大好きになりました。

 

そして私も料理の段取りや道具の使い方が格段に上達したような気がしている。フライパンを複数使い分け、丁寧に油を切り、その一つ一つの工程を息子に説明しながら料理をすることが、何の苦も無くできるようになった。

 

料理に関する更なる飛躍が自らに訪れるとは思わなかったので、面白いものだなと思っている。子どもと共に私も成長しているようだ。