結婚後、関白宣言をした父のもとを去った母の話。そして息子の私が歴史を繰り返した話。

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今週のお題「おとうさん」

 

本日は父の日ということで、丸中醤油720ml瓶を贈りました。Amazonの日付指定便で注文したので、今日中には届くはず。楽しんでもらえるといいなと思いつつ、なんで醤油なんだと文句が来そうだなと思いつつ…。

 

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 今では母に「お父さんと結婚してよかった。」と言われている父ですが、結婚当初はなかなか大変なことがあったようです(タイトルそのまんまなのですが)。

 

 

突然の関白宣言

社会人になってからでしょうか、母から聞かされたお話があるんです。父と母が結婚してすぐのこと、父が突然「うちは亭主関白でいくから」と言い放ったそうです。

 

母は「何言ってんの?この人」と思ったそうで、翌日荷物をまとめて実家に帰ったそうです(実家までは車で30分程度の距離)。

 

父は焦ったようで、母の実家への三顧の礼を経て、1か月ぐらい後に漸く母は父のもとに戻ったそうです。

 

父からはこのエピソードを怖くて聞くことができておらず、母もこの一回しか語ることがなかったので、より詳しい話は分かりません。ですが、あまりに可笑しく鮮烈だったので、ずっと覚えている親のエピソードのひとつです。

 

そしてこの話を聞いて、私は大丈夫だろうなと高を括っていたのです。

 

歴史は繰り返す

今でこそ仏の妻に仕える修行僧として日々教えを請う私ですが、同棲~結婚当初は酷いものでございました。妻が作った料理が美味しくない時ははっきりと「不味い」と言っていましたし、食べ物を食べて「美味しいね」という妻に対し、「美味しいの分かってて食べてるんだから、言わなくてもいいじゃん」などと言い放つこともございました。

 

そしてある日、妻の得意料理であった、「ナスとピーマンの味噌炒め」に対し、「ピーマンが焦げ臭い味がする」と評したことにより、妻の心の最後の支えを打ち砕き、私の入浴中に妻はLINEにメッセージを残し、無言で去っていきました。

 

自信がなくなりました。

 

あの当時は心に悪魔が棲みついていたのでは?と思うほどです。「結婚は甘いものではない!」「妻に見縊られてはいけない!」という強迫観念にとらわれていたように思います。口では宣言していませんが、私も関白宣言をしていたようなものでした。

 

その後、涙の謝罪を以って妻の赦しを得ることができました。そして数々のギャップを克服しながら現在に至ります。今思い出しても心が苦しくなる経験でしたが、「相手を尊重し、敬う」ことが漸くできるようになった気がします。本当はもっと早く、妻の心を折る前に身に着けていなくてはいけないものでしたが。。

 

まとめ 

冒頭の母の言葉は、昨年母が体調を崩したときに、父が家事全般をこなして優しく看病してくれたことに起因するそうです。亭主関白を継続していたら、熟年離婚もあり得たでしょうから、母の行動は正しかったのでしょう。

 

私も父ぐらいの年齢になった時に、妻に「結婚してよかった」と言われる存在でありたいと思います。

 

父は今日は大好きな刺身でも食べるのでしょうか?そしてプレゼントした醤油を使って「この醤油、違うね!」なんて母と楽しそうに会話をしてくれたらいいなと思いつつ。

 

お父様、いつもありがとうございます。