結婚するとき、妻に一つだけお願いしたことがあります。「禿げ始めたら、遠慮なく教えて欲しい。私と君のためにも、その方が絶対に良い。」と。
この約束が守られているのであれば、結婚したときも現在も、私はまだ「禿げ領域」に到達していないようです。
なぜ、こんなお願いをしたのかと言えば、日常生活で全くと言っていいほど役に立たないのに、何故か非常にセンシティブな頭髪問題に煩わされたくなかったからです。
はっきりと事実を伝えてもらえなければ「まだ禿げていないのではないか?」「もともとこのぐらいであっただろう。だから問題ないはずだ」と、明らかに禿げているにもかかわらず、見たいものしか見ない人間の性のとおりに現実を見ず、ひたすら逃避することになるでしょう。
また、そう思ってはいつつも、きっと心のどこかで禿げていることを自覚し、「溺れる者は藁をもつかむ」ということわざの通り、無意味なものも含めた様々なものにお金を費やした挙句、「効いているのだろうか?」「これだけお金を払ったんだから…。」などとさらなる疑心暗鬼に陥り、私のQOL(Quality Of Life:生活の質)は著しく低下することが目に見えています。
それは、脂漏性皮膚炎に罹ったときの自分の行動を振り返ってみれば、はっきりと分かること。あの時は、本当にいろいろな情報に流され、様々な商品を買っては試し、効かないことに絶望し、また買っては試しのループ地獄でしたから…。
そんな苦しんだ経験もあったからこそ、「変な優しさなどいらないから、はっきりと『禿げたね。』と言って欲しい。」そう妻にお願いしたのです。
その時が来たら…
もし、その時が来たら…、いや、来てほしくはないんだけれど来てしまったら…、自分で言ったにもかかわらず怒り狂うかもしれない。最初は受け入れられずに「まだ大丈夫」と足掻き続けるかもしれません。
自分でお願いしたものの「想像がつかない」というのが正直なところ。
しかし、親愛なる妻の言に間違いはないと徐々に受け入れ、アフター頭髪の世界を矜持を持って生きることができるのではないかと思っています。人間、堂々としている方が確実に「生きやすい」もの。堂々とできる新しいスタイルを家族で模索し、ロストライフを実りあるものにしていけたらいいなと思っています。
おわりに
なぜこんな話を唐突にしたかと言えば、先日の結婚記念日にこの話題がでたこともあるのですが、生後8か月になる子どもの握力が強くなってきていることが挙げられます。
子どもながら侮れない握力を有した手で私の頭髪をがっちりとつかみ、涎を垂らしながら「えへへ、えへえへ」と微笑みながら無慈悲に引っ張る姿は悪魔にしか見えません。
確かに、父は髪を失った場合の覚悟を決めているが、君の手で失うエンドは想定していなかったし望んでもいないのだ!